HOME > 公開記念イベント「愛してよ 映画講座」 > 愛の脚本論講座 ~『愛してよ』の脚本家が『熟年離婚』を書いていた!~
福岡 「今日は寒い中皆さんありがとうございます。えー、僕も口下手なんですが、さらにシナリオライターの橋本さんが私に輪をかけて喋らない人で。こういうのには絶対出ない!という人なんですが(笑)今日は喋ってください、ひとつ」
橋本 「…うゎー」
福岡 「うゎーじゃなくて(笑)」
橋本 「…えー橋本です…えー今日は皆さん寒い中ありがとうございました。えーあまり喋らないと思いますが、福岡さんにお任せしてここにいたいと思います(笑)」
森重 「えー今日はありがとうございます。プロデューサーの森重と言います。橋本氏に電話してとりあえず正月飲もうと。で、まあ飲む前にちょっとだけ劇場で三人で喋ろうと(笑)いうことで」
福岡 「橋本さんといえば今日のタイトルにもなってますけど、最近で言いますとテレビ朝日で記録的な大ヒットになった『熟年離婚』ですよね」
橋本 「…(福岡をじーーっと見る)」
福岡 「その顔やめて(笑)僕が彼と最初に仕事をしたのは1989年公開の『童貞物語3』という作品なんですが。そのとき、今は監督の阪本順治氏から、非常に面白いヤツがいるんだけどということで紹介されまして。あの頃は何をしてたんですか」
橋本 「その頃は演劇をやってました。阪本さんも当時助監督で、野外ステージの火薬爆破とかそういうことを手伝ってもらっていて(笑)」
福岡 「阪本順治は火薬爆破の免許もってます(笑)」
橋本 「でまあ、横浜国大に行って、阪本さんの母校なんですけど、そこで車のフロントガラス70枚くらいぶら下げてそれを阪本さんの火薬で爆破すると…そんなワケわからない芝居やってました」
福岡 「芝居のホンとかも書いてたの」
橋本 「書いてました」
福岡 「俳優もしてた」
橋本 「チラッと…出てました」
福岡 「彼カッコいいでしょ、背も高くて。もうちょっと若い頃は飲み屋に行って永瀬正敏の兄だって言うとみんな騙されてたという(笑)」
橋本 「…(ニヤニヤ)」
福岡 「映画のシナリオとしてはあれが初めてだった」
橋本 「そうです。ホント全然シナリオなんて書いたこともなく。よく書かせてくれたもんだなと、今になって思えば、ね、福岡さんの優しさに…(笑)感謝します」
福岡 「そのときに非常に才能豊かな書き手だなと思いまして。発想にしろ、繊細な人の心の部分にしろ。その後何本か僕自身のやったものを書いてもらったりしてたんですが、で、そうこうしながらテレビのホンも書き始めて」
橋本 「ええ」
福岡 「最初はアニメ」
橋本 「アニメもいろいろ書きまして。『みどりのマキバオー』『ゲゲゲの鬼太郎』『ワンピース』とかそういうのも書きましたね。で、ドラマは『ショムニ』っていうのから始めて、最近ではテレビの『ウォーターボーイズ』とか『Mの悲劇』とかっていうテレビドラマ、ですね」
福岡 「もうどんどん彼の方は一流のシナリオライターというか作家になっていって」
橋本 「(笑)いえいえ」
福岡 「この二人の差がどんどん拡がっていって。売れっ子度とか収入の度合いとか(笑)今はセンセーなんで、ついていきますんで(笑)」
橋本 「…ついてこないで(場内爆笑)」
福岡 「映画は意外と少ないよね」
橋本 「少ないですね。映画のホンはいろいろ書いたんですけど、まあ結局成立しないっていうことがいっぱいあって…うーん、難しいもんです、映画は、ホントに。たいへんだなーと思います」
福岡 「なんでたいへんなんだろうね」
橋本 「苦労が多いですよね。そう思います。無駄に」
福岡 「ムダに(笑)どうなんでしょうそのあたりプロデューサーとしては」
森重 「そうね本当に(笑)まあ大枠からいえば映画会社というのがどんどん失くなってきたことから始まってるんでしょうし…僕なんかも自主映画から出てきて独立プロと言われる括りの中でやってきて、監督も若松プロというピンク映画から、橋本氏は演劇からというふうに、いろんな人が2、30年くらい前にいろんな形で映画に関わってきて、まあ先輩達の映画が面白くないから自分たちでつくろうみたいな気持ちがあったんじゃないかと思いますが80年代はそうやってつくれる場合もあったんですが、だんだん…一本の映画をつくるというのはどうしてもお金がそこそこかかる、お金を集めるというのがたいへんになってきた、それとお金を集めればそれで終わりかと言うとこうやって劇場で公開してたくさんの皆さんに観てもらわないと成立しないということもあったりするんで…。まあ僕も脚本を書いてもらったけど結局映画にできなかったものも何本もありますし…監督も橋本氏もそんな状況もあると。まあそんなこんなでつくられる本数だけは増えているわけなんですけども…最近の状況としてはどうなんでしょうかねーと言いつつ…でもこの頃はお客さんも日本映画にもどんどん入ってくれるようになってそれなりに面白がってくれてる状況ではないかという…まあ明るい面もあるんではないかと思ったりしてる…今日このごろではありますが…(笑)」
福岡 「…どういうまとめなのよ、それ(笑)」
森重 「映画をつくりたいっていうのが、こう、監督から始まったりプロデューサーから始まったり脚本家からオリジナルで始まったり、いろんなところから映画は始まるものだと思うわけですよ。今回の『愛してよ』で言うとこれは企画製作の石井渉さんと監督が『空が、近い』という映画をつくった後に、次なにをやろうかということで、子どもの話をやろうと、その二人から始まってるんですが。で、ところがオリジナル作品っていうのはなかなか難しいんですよね。いま公開されてる日本映画の中でも全国公開されてる映画というのは9割9分原作ものというか、コミックだったり小説だったり。やっぱりそういう方がどういう作品になるかが見えやすくてお金が集まりやすいっていうひとつの状況はあると思うんですが、まあ今回の作品はオリジナルで子どもの話をという、監督と石井さんの思いから始まってて」
福岡 「で、非常に早い段階から橋本さんに入ってもらってホントにゼロからつくっていった。その間最初は子どもたちだけの話だったのがシングルマザーが登場したりとかそういうことになってきて。その辺ゼロからつくりあげていくということで、橋本さんたいへんにご苦労があったと思うんですが(笑)」
橋本 「いや、監督の考えてることと脚本家の考えてることはやっぱり常に違うもんで。それを福岡さんとならうまく一致してくるのかなーと思ったんだけども、すごいなかなか細かいことはやっぱり一致しないもんで。まあ昔はこの人もっとワガママな監督になった方がいいんじゃないかなんて思ってたんですけど、最近はその通りすっかりエゴが強くなってて(笑)まあ…最後は監督にお任せしますという形で、ホント監督の映画になったなーってしみじみ思ってます」
福岡 「嫌だってこと、それって」
橋本 「いえいえいえ(笑)いや、監督自身が考えたことの方が、僕の目から見るといい絵になってるなーって、ホントに思っちゃってね。こう…脚本書くっていうのはホントに難しいもんだなってまたつくづく思う…今日このごろです(場内爆笑)」
福岡 「僕はね、これだけ才能ある人がテレビだけじゃなく映画にももっと書けるというか、映画がこの人を取り込んでいかないとダメだって思うんですが…たまたま今日このごろっていうか昨日、橋本さんがあるところで、いやー映画をやってるヤツはバカばっかりでテレビの方がアタマいいよって発言したということを聞き(笑)どうなのそれ(笑)」
橋本 「(笑)それはまあ今回の配給もやってる有吉さんと飲んだときにそういう発言をしたと思うんだけど」
福岡 「したんだ(笑)」
橋本 「バカばっかりとは言ってませんね、たぶん。…テレビをやってる人の方が本数をこなす機会が多いのでぇ…(言葉を探しながら)それに対する考えがぁ…明確になってる人が多くぅ…だから仕事を導いていく方法がスムーズであると、そういう意味合いで言ったんだと思います。よね。で逆に映画っていうのは、つくんなくていいものをつくってるわけだし、でまあ人とは違うものをつくろうってみんな思うわけだからどんどんバカなことをしようとかしたり突拍子もないことを考えようっていうことにどんどんどんどんなったりしていろんな労力かかっちゃうわけですけど。まあそういう意味ですね、そんとき言ったのは、ハイ。いやホントに」
福岡 「それで労多くして報われないっていうか」
橋本 「報われなかったことが多かったということへの愚痴で酔っ払った席でそういうことになったんじゃないかなーって(笑)思います、ハイ」
福岡 「確かにテレビの方が出口がはっきりしてるっていうか」
森重 「それと数の違いがまだまだ圧倒的にあるからね。さっき映画会社がどんどんつくんなくなったって言ったけど、昔はブロックブッキングがあって各会社年間何十本つくらなきゃいけない、つくらなきゃいけないというどっかの意志で動いて頑張った時代と、今みたいにひとつひとつお金を集めて成功させなきゃいけないって場合はまた違って、今は出口を見つけてからでないとなかなかGOが出せないという状況のジレンマがあって。といって最近またつくられる本数が増えてきてるのはこれはまた諸事情があるんだけど逆に出口が決まってなくてもつくってしまう作品が増えてるという…ちょっと歪な状況と言えば言えるし…片方で言えばつくれる場所が増えてるという言い方で日本映画も元気だと言えるわけで、一面だけでは捉えられないなと」
福岡 「つくられたけど公開されてない映画が100本あるとか200本あるとか」
森重 「現実に去年つくられて今年公開が決まってない作品が100本以上ありますよ」
福岡 「この『愛してよ』の前に石井さんと一緒につくった『空が、近い』という作品も未だ上映する機会がないという状態なんですが。そんなことも含めて今回の話を橋本さんにふったときに、今回はちゃんと出口があるんですね!公開するんですねって彼から怒られて…出口がないものは僕はやらない!って」
橋本 「それは、見せなきゃ意味がないと思いますし、やっぱり見せる目途は製作してる間につくるもんだと思うし、それができないとその作品をやったことが、なんかね、自信になるより逆に疲労になるっていうのはとってもよくないことですよね。きっとね。どういう場所でどういうふうに観てもらうかっていうのも全部含めて考えないと。やっぱり映画っていうのはそれが普通にあるべき形なんじゃないかと思ってます」
福岡 「シナリオ段階、現場段階、仕上げ、その後に至るまでやっぱり僕は彼から非常に強く言われたその言葉から力づけられながらというか、叱咤されながらここまで来た、来れたということもあるんですけど。だから、監督とシナリオライターであっても、じゃあホンだけ書いてくださいボク監督しますからっていうことだけじゃなくて、そういうふうに、昨日の俳優との部分もそうですけど、お互いに影響しあいながらひとつひとつできていくっていう…そんなことを感じる…今日このごろです(笑)」
会場からの質問 「橋本さんに。ホンを書くときにリアリティを求めるために取材を徹底的にやられますか。それとも想像とか、作品のもつテーマとか。そういうバランスをどういうふうに考えておられるかということを」
橋本 「まあ取材を最初たくさんしてから書くという人もいっぱいいると思うし、それが正しいと思う人もいるかもしれないんですが、僕の場合は、やっぱり先に、こういうことにしようと自分で決めて、想像とかも含め、ともかく書いて並べてみてから、で取材してそれで、あ、これでいいんだとかこれはダメなんだっていう、そういう取材のやり方をするようにしてます。先に取材するとそれに引っ張られて、そのまま書いてるとなんか書いたような気になっちゃうんだけどでもそれはもともとあるもので、まあ創作とはちょっと違う要素が強くなりすぎるんで、そういうふうにしてますね」
質問 「この映画のプロセスの中でもっとも拘った部分や、思いがけず苦労した部分は。トントンと進みましたか」
森重 「どの映画も苦労が多くて(笑)僕の立場から言うと、今回の塩顕治君の役が10歳であるというところに非常に監督が拘りまして、で、オーディションをずーっとやってて、まあそのくらいに見えればいいじゃないかと僕なんかは最初思ってたんですけど、でもオーディションに付き合って子どもたちと話したりしてると、10歳、11歳、12歳っていうのが非常に違うものだっていうのが実感できて。それは監督の、いま10歳の子で撮りたいっていう拘りが実感できたっていうのはありましたね」
福岡 「10歳の子を僕が演出してつくりあげるという自信はないので。10歳の子どもが、この、僕らがつくりあげたシナリオの世界の中でどう生きてくれるのかという、それをどう僕らが見つめられるのか、っていうのがあったので。それは例えば12歳のお芝居の上手な子に10歳を演じさせるということではなく、というやり方をやろうと思っていましたんでそれは拘りと言えば拘りなんでしょうが。…あの、やっぱりトントンとはいかないんですよね(笑)特に今回の映画が扱ってるモチーフがかなりきつい、人の生き死にに関わってくる問題ですから、さっきの話と同じようにやっぱりそれはシナリオの段階から現場、仕上げ、今に至るまで、これでよかったのだろうかとか、非常に、えー、結論を簡単に出せるようなものではないので、いまだにいろんなトントンといかない気持ちを抱えながら、後は映画を観ていただいたお一人お一人の心の中で…こう…もう一回、二回、三回と映画が生きていくのか…お任せするというのは無責任なようですが、そういう映画になって欲しいと、そういう気がしております」
この後、前日と同様、会場のお客さんへのプレゼント。ジャンケンでゲストに勝った人た
ちに、ゲストサイン入り『愛してよ』Tシャツ&台本が渡されました。これはイベント最
終日まで続きます。
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